Baobab『ジャングル・コンクリート・ジャングル』Review

常に風が吹く場所まで~ダンスが導く壮大な生命の旅

 その日、舞台で目にしたものが何なのか別の言葉に置き換えるとしたら……「流れ」だったのではなかろうか。原始から未来までの、野性から理性までの、自然から人工までの、生命から人工知能までの、進化の、退化の、或いはそれぞれ、その逆の方向での「流れ」。2019年12月5日、北尾亘率いるBaobabの新作『ジャングル・コンクリート・ジャングル』の初日を観た帰途、そんなことを考えながら電車に揺られていた。
 今作の座組はカンパニーの過去作品に比しても最大規模の北尾を含む21名。下は小学5年生11歳から、上は41歳俳優まで、ダンスのジャンルも越境するカラフルなパフォーマーが集まっている。そして、その様々な身体が生み出す様々な動き・仕草・踊りがジャングルとコンクリート・ジャングル、生命が渦巻く対称的な二つの混沌を舞台上に立ち上げ、交錯させていく様が実に鮮やかな80分超だった。
 冒頭、男性パフォーマーが会場であるKAAT神奈川芸術劇場が立地する、土地の過去と歴史を観客に想像させるよう語り掛けるシーンから作品は始まる。海が近く、注意を傾ければ潮の香りも感じられる場所の“これまで”をイメージすることは、そのまま、観客にもこれから始まる踊りの時間を介して、自身の生命の「時」を遡るための絶好の入り口だ。あとは、次々と展開するシーン、年齢もダンスのキャリアや技術もバラバラの身体と動き、声や言葉の織りなすイメージの奔流に身を任せていれば、ひたすらに心地よくなっていく。

 作中でのパフォーマーたちは草木であり、動物であり、人であり、都市でもある。人工物に囲れ、そのことに何の疑問も持たず最新のテクノロジーにまみれて生活する人間の様子は、刻々と変化する天候・気候にざわつく野生動物や原始のヒトの営みに重ねられ、そしてまた再び劇場や観客が居る「今」へと戻る。
 本番の2か月ほど前、北尾に新作とその前後について訊く取材の機会があった。
「それまでも身の回りのささやかなことから、広く世の中を見回して気になることまで作品に、多岐に亘り取り込んで来ましたが、2016年の『靴屑の塔』以降、社会的な事象への関心が高まっていったのは確かです。『靴屑~』では消費社会の矛盾や歪みについて、続く『FIELD-フィールド-』(18年)ではスポーツというものにまつわる集団意識と、その先に見え隠れする戦争にも繋がるようなファシズム的思考などについて、ダンスという表現を用い、自分なりに考えようとした。社会のソリッドでネガティブな問題に踏み込んで行ったんです。『FIELD』が言葉を排した作品になったのも、そんな意図があったからこそ。でもそれら挑戦ができたのは、その先に対極の、僕ら人間も含めたこの世界の生命全体を言祝ぐような、祝祭的作品をつくる! という強い想いがあったから。ここ3年ほどは外部での創作も含め、自分の中の極から極へと双方に振り切るような作品づくりが必要だったんでしょうね。もちろん、自分の考えを作品越しに観て下さる方々に押しつけるのではなく、あくまで考えたり見つめ直したりするためのきっかけになれば、と思ってのことですが」
「集団性が持つ怖さを知りながら、それを土着的身体に漲る生命力で底から天へと跳ね上げられるのがBaobabだから」と続けた、意志的な北尾の表情が脳裏に甦る。
 作品のコンセプトに沿った構成の中には、ユーモラスなシーンも散見する。動物の縄張り争いや雌の取り合いのようなダイナミックな模写的ダンス、AI=人工知能と会話しながらロボット的な動きや発語をするパフォーマー同士の、噛み合わない会話の妙味。身体のフォルムも機能もバラバラなのに、群舞は圧倒的な迫力で観る者に迫る。各人の「違い」はそのままなのに。もちろん、中には北尾の振付、クリエーションの経験者も複数いるものの、半分以上は今作のオーディションで集められたメンバーが、これほどの高い一体感でパフォーマンスできるのは、入念な話し合いをベースにした北尾のチーム作りの力量の確かさ、振付・演出それぞれの説得力と伝達力の高さゆえではなかろうか。
 チーム作りで言えば取材時、2016年に自ら立ち上げた、世代の近いダンサーやカンパニーが集まり、コンテンポラリーダンスの最前線を「観て」「踊って」「過ごして」体感するフェスティバル「DANCE×Scrum!!!」(18年に第2回を開催)や、19年11月にスタートしたダンスを介して世界と時代を上書き=リライトするショーケース「吉祥寺ダンスリライト」など、作品創作に限らない、シーンや場をつくることに積極的な理由を訊いた時の北尾の答えが秀逸だった。
「日本のコンテンポラリーダンスは、僕らより15年~20年上の先輩方がメディアなど舞台以外でも活躍した世代の後、空隙ができているように思われている気がするんです。でも見渡せば面白いことや、独自性の高い創作・活動をしている若い才能はたくさんいる。ないならシーンは自分でつくる、自分たちのためにも、というのが発端で、だから貯蓄のようなものなんです、どちらの企画も。満期になるのを楽しみに、コツコツ楽しんで積み重ねていくような。特に18年の第2回『DANCE×Scrum!!!』の時は、自発的な参加者も増え、開催中の熱量も確実に上がっていた。「みんなが求めていることを始められたのだ」と、あの時初めて、自分のやっていることが願望から確信へと変わったんです。作品を一つずつつくり上げるのと同じくらい、僕はその土台となるものを築くのが好きなんだと思います」
 作品は後半、荒れ狂う自然に人や動物が翻弄されるイメージから、静謐な祈りを思わせる情景などを経て終景へと至る。そこは何処でもない、けれど誰もが知る場所。人が生まれて還るところ。時が流れ、流れて生み出す風が、常に吹いている場所。生命が、それぞれの姿で旅をした果てに行き着き、生まれ変わるための秘密が宿る地に連れて行かれた。そんな気がした。
 北尾が自身とカンパニーの「現在」を渾身の力で舞台化した『ジャングル・コンクリート・ジャングル』。カンパニーと観客が共に目撃した、涯てから見晴るかす世界のその先をBaobabが次作で描くならば、それがいつのことでも、この鑑賞後の気持ちのまま熱く待ち続けたいと思う。


尾上そら ONOE SORA

東京都出身。出版社勤務後、フリーランスの編集者・ライターに。雑誌や劇場発行の広報誌などの記事の企画・取材、書籍編集、演劇公演や映画などのパンフレット編集・執筆などを手掛けている。現代演劇に加え、コンテンポラリーダンスや古典芸能にも触手を伸ばしつつ、ライフワークとして国内各地の表現の現場を訪ね歩いている。